昭和47年09月20日 秋季総会
おかげを頂きました。本当に神乍らな、神様のお働きの中に、皆さんの人乍らの精進とが一つになって、今日の総会が開かれたという感じです。今の私は、今日は妙な話だなぁと、私も思いよったが、今、聞いてみたら、そんな訳ですから、これはとても、只ごとじゃないですね。もう、大祭が始まったという感じですね。本当に、午前中から、また午後にかけて、疲れるはずのが疲れませんほどしに、もう、秋永先生じゃないけれども、感動のし続けでございましたですね。
私はいつも思うんですけれども、秋永先生が一人一人のお話の中から感じておられる事を、私もやっぱり感じておるですね。ですからお話をするならやっぱり、皆さんのお話になる訳なんですけれどもね。まぁこの様にして五年祭を迎えるための働きを頂いておる訳です。そこで各部門の方達が責任をもって、それにまた沢山の人達が御用をなさる事でしょう。ですから記念祭は本当に形の上に於いては、出来るだろうと確信いたします。ですからそれだけでは、もう御大際は仕えられんのだ。
いわゆる有り難い御大祭と言う事にはならんのですからね。ですから先ほどどなたが申しておられました様に、あ総代さんの高芝さんが、仰っておられましたように、それこそ、お広前新館が、割れんばかりと言うておられますがね。そういう御比礼が頂けれる事の為に、またいよいよ神乍らな神様の働きを頂くと同時に、私共の精進が、またなさらなければならないということです。例えていうなら今日の総会と言うても、これは朝参りにでもこのぐらいなことは皆さんが参っておる訳ですから。
ですからこれに例えば、ここに何人おられますか、まぁ百人おられると致しましてです百人の方が十人参る。一人が10人ずつ連れて回って千人と言うことです。ですからね私はその時の事を、皆さんがどういう風に考えておられるだろうかと。もしこれはお店でもしておるならば、勿論店は休業でしょうね。どうでしょうかね、信司さんそちらあたりはどうでしょうか。そういうことだろうと思うんです。
だから私が留守番しとくけん、あんたどんが参ってこんのと言うものではなくて、それこそ、店を閉めてお家を閉めてだけではない。親戚にも例えばこの御比礼に浴して貰うて、ただ参って貰っただけではない。成程お互い信心させて頂いておる者の有り難さというか、又は心意気と言うものを引き取って貰い、見とって貰ってです。それを境に愈々合楽の繁栄と言う事は、お道の繁栄に繋がる事でございましょう。勿論合楽教会といった様な事は、小さい商店ですけれども。
合楽自体が助かると言うことは、教団全体が助かる事に繋がらなければならないし。教団全体が助かる事は、世界が助かる事に繋がっておらなければならんので御座いますから。それにはどうでも、私共が本気での信心を頂いて、それを本気で人へ伝えると言う、所謂まあ天理教的に言うならば、匂いかけと申すそうで御座いますね。いうならば拡声器代わりともならせて頂いて、おかげを頂いたらもう間違いなく割れんばかりのおかげになるだろうと思うですね。
ですからお互いが一つ今からです、その事を祈り続けると言うこと事と同時にです。いわゆる拡声器代わりになって、人にもこの事を伝えさせていただいて、おかげを頂かなければならない。今日皆さん次々と立ってお話をなさるのに、もう本当に只出られただけで感動する。特に喜代司さんのここへ出られた途端に、私何か知らんけど感動したんですけれど、まだお話をなさる前に。
けれども何ち言うかね、もう五体と心が一つになっての、最近の喜代司さんの信心ですけれども、お父さんがあのような事で病院に入院中でございますし、もう医者は大変難しいといっと言ってるんですけれども、段々おかげを頂いておられます。最近は一応退院の形を取って、近所の病院に替わられるようなおかげを頂いておられますけれども。もう随分なりますけども、その後の商売が、お父さん寝ながら心配されるそうですけれど。もうかえって順調であるという事ですね。
いいやそれからお父さんがあっちは入院されてから、店の上に例えばあのお初穂なんかの中に、最近はあの堤工場の従業員一同というお届けがあります。しかもそれを真剣に願われるです。思うとってもこりゃ全然、あれしなさるとと私は思うんです。本当に従業員一人一人の事を願われる。しかもまあ大変な親孝行ですから、もう父を思い病院に毎日の様に行かれます。現在は近いですから毎日行かれるんでしょうけれども、その様子をそれこそなんて言うですか、手に取る様にね病院での生活をお届なさいます。
そういう様な信心がお父さんの病気を通して感じ取られておられるものがね、五体中に何かこう感じられる訳です。先程青年会長が話しておりました様におかげも嬉しい。おかげを頂いておる事も嬉しいけれども。それをおかげにし得た自分の信心が、もっともっと有難いんだと言う意味の事を言うておりますですね。私はお互いの信心がですね、只おかげが有難いというだけなら、それは本当に大した事はないと思うです。
けれどもそのおかげを生みなすことの出来れるだけの信心をです、自分自身が頂いておると言う事が有り難い。もう度々その言葉を使っておりましたですね。おかげは嬉しい。これはもう私は実感と思うです。おかげが要らんなんてんちゃあらないです。けれどもねおかげはおかげ。だからおかげも嬉しいて。嬉しいけれども、それよりもそのおかげを生み出す働きが、自分の心の中に出来ておったと。
例えば素晴らしい注文があった。翌る日はもう断れた時にです、淡々としてどころか、それを合掌せんばかりにして受けておるということ。そして、その娘さんが嫁入って行かれる先方のことまで祈っておるという事の中にです。自分で自分の心が拝みたいほどしのものを感じておる訳です。それはそこ数ヶ月間です、もうそれこそ、苦しみ出したら、その苦しみをまた輪をかけたような苦しみが、後からぶら下がってくるようにあったと言うておる、その難儀の中からです。
一寸法師が、犬に、犬かも知れませんですね、(笑い)、鬼に食われて、鬼に食われて鬼退治ということが出来ておったと言うことなんです。鬼に食われると言う事は、それは大変に怖い事なんです。けれども食われてから、実はその鬼を退治しておるというおかげを受けておるところがです。この難儀を通らせて頂いて、ようもようもここん所を分からせて頂いた。此の事だけは自分のものになったと思うほどしのおかげを頂いて、おかげでね、おかげで記念祭にこれが間に合うたと言っておる訳です。
私は信心の今朝から頂きます、いわゆる釣り三昧というからね、信心三昧というのはそう言う事ではなかろうか。おかげも嬉しい魚が釣れると言う事も嬉しいんだ。魚釣りに行っとるとじゃけん。けれどもそれよりももっともっと、言わば味わいを感ずるのはです。じっと辛抱しながら、浮きの動きを見たり、又は餌を取られたりしながらでも、そこに辛抱して座っておる中にです。
そこにかえって楽しいものを感じておると言う。私は合楽の信心は絞るならここを頂かなければ駄目だと思うんです。もうおかげを頂いてあの時はもう、あぁでしたけれども、本当にこげなおかげを頂きましただけじゃいかんです。そのおかげも嬉しいです。けれども、その事を通してこの事だけは私のものになった、そこに味わえれる信心。そういう信心をです。私は身に徳を受けて行く信心だ。いわば身に徳を受けて行けば心配はないという、素晴らしい信心の世界が展開しくる訳なんです。
どうぞもう記念祭は始まった。本当にぐずぐずはしておられないという様なものがです。皆さんの心の中に今日はいうならば嫌というほど、感じられたであろうと。感動一杯でそれを心の中に受け止めたであろうと私は思うです。それは但し皆さんのこと。ですから、この会に出席出来なかった人は、まだほとんどでありますし、お広前を新館を埋め尽くす人は、皆さん以外の方達でなかなければならない事なんです。そこにこれからの私共の信心が掛けられると思うのであります。
どうぞいよいよ神様にも喜んで頂け、私共も喜べてしかもその大祭を、記念祭を境にまた次の記念祭の奉仕されるのを楽しみに自分の信心が間違いない焦点をふんまえて進んで行けれる、そういうものをです。この記念祭にお互い頂きたい。そし、お互い私共だけではない、それに縁を頂いた人達がです。合楽の信心をもう一遍見直し聞き直しをして頂いてです。本当に助かって頂きたい。そして和賀心時代を造ると言う運動に、いよいよ参画させて頂きたいと思う。そういう願いをもっております。皆さんどうぞよろしゅうお願い致します。